<今日の一枚と一句>[その1(2024.01.15~02.22)]
【一幅の 画にとなれるか 寒椿】 長町武家屋敷休憩館の片隅で土塀を背景とした赤と白…水墨画で描く掛け軸ではとても表わせないですね・・・今の時代の表現方法に感謝感謝!!
【能登の春 土も優しや 人もまた】 パンジーの表情・・「怒り?」「悲しみ?」・・・風に揺れると「笑み」にも見えて・・
【薦(こも)掛けの 武家の屋敷は 冬ごもり】 日曜日は多くの観光客で賑わう武家屋敷跡・・・今日はひっそり・・
【雪囲い 虚無僧似たり 巧み技】 長町武家屋敷跡にある「職人大学校(長町研修塾)」の入口付近にある”石灯籠さん”にも雪囲いが施されて・・・その表情が、少し惚けた侍?虚無僧(こむそう)にも良く似ています。目を凝らすと背中に竹を材料とした刀(竹光)にもみえてきました~~。職人の「巧み技」です!!
【屋根雪が フォークダンスの オクラホマ】 金沢文芸館の窓を開けると、階下に見える瓦屋根の残雪がまるで仲良い踊りのサークル(リーゼント風男子とポニーテール風女子)のようにみえてきて、中高生の頃が思い出されました。 そろそろ卒業シーズン・・・かな??
【如月や 屋根雪止めの 苦笑い】 今日から如月(きさらぎ)、その由来は本来、寒さが厳しく衣を更に重ね着する(衣更着=キサラギ)との説が有力かと思いますが、2月を表す異名は他にもたくさんあるのに、なぜ「如月=ニョゲツ」と書いてキサラギと読むのか・・・?
この時期に屋根雪もなく寒さ緩めの金沢、「屋根雪止め」の表情がなんとなく苦笑いにみえてきました(^^)
【発災後 海陸空に ゴジラ岩】 珠洲市馬緤町(マツナギマチ)の沿岸から見える奇岩「ゴジラ岩」、能登地震前は海の中から西に向かって今にも口から火を噴きそうな姿で立っていましたが、今回の海岸隆起で陸続きになったと報じられました。 金沢の空を見上げると、まさに「ゴジラ・・・」「岩」ではなくて「ゴジラ雲?」を見つけました。 石川県出身の松井秀喜氏(巨人⇒ニューヨークヤンキース」、「ゴジラ松井」と呼ばれる松井氏は既に多額の義援金を寄付されており、また、被災者に対する心強いメッセージを送られました。なお、六年ぶりに古巣・巨人軍の春季キャンプの臨時コーチを務める等のため、後日来日されるようです。
【兼六も 寒紅梅も まだ蕾む】 例年は寒の明け頃(2月3~4日)には見ごろを迎えたとの便りが届く兼六園、観光客も徐々に戻ってきてはいるとのことですが、人も梅もまだまだ・・の感があります。リピーター率の高い兼六園の観桜・・・たくさんの人で賑わうことを期待しつ・・・・。
【立春の 富士の山には 願い星】 立春を迎えた富士山・・・能登半島地震で大変な思いを強いられた方々に、その悲しみや苦しみを憂うるとともに、「皆で頑張れば必ずや希望の星たちも共に応援し続けてくれるよ~!!!」と語りかけもらえた・・・そんな風に感じたワンショットです。
【土佐が梅 高知の城の 門開き】 高知城の梅の段へ抜ける「詰門」は普段は解放されていない門ですが、明日令和6年2月6日(火)~12日(月・祝)午前9時~16時30分までの間、解放されるとの情報を入手しました。掲出の天守画像は、2021年にご当地を訪れた際の天守周りの風景ですが、この城は、関ヶ原戦での功績を家康に認められた山之内一豊(ヤマウチ カツトヨが正当で、ヤマノウチカズトヨと読むのは不正解?)が土佐二十四万石の初代藩主となり、また、妻の千代(内助の功で有名)は、当時は「武士の妻の鏡??」として伝わる話はあまりにも有名・・・です。
土佐藩の高知城は、日本で唯一「天守と本丸御殿が揃って現存する城」としても有名です。
ぜひこの季節にも再度訪れたいものです。(城内案内のボランティアガイドさんが常駐されてました)
【まるびぃも 春の景色ぞ 能舞台】 金沢市役所の前を通り兼六園に向うと「能楽美術館」があります。この建物から21世紀美術館にアクセスできる場所が設けられていて、観光客の方もよく利用される通路ですが、「21世紀美術館」が丸い建造物であることから「まるびぃ」と愛称で呼ばれることも多い中、立春過ぎた今日、何気なく立ち止まりシャッターを押すと、背景には松の木ありて、なお一層の輝き・・撮影時間帯に(特に黄昏時)よっては、まるで能舞台のようにも見えてきて・・・。
「まるびぃ」は能登半島地震で館内に少し被害が生じたこともあり、しばらくの間、閉館が続いていましたが、本日2月6日(火)から無料ゾーンに限って開館されました。このアングルからのシャッターチャンスGet!!・・チャレンジしてみてはいかがでしょうか・・・。
【辰初日 雨を冠むりて 地が震え】三 今年の元旦、辰年の初めは雨で、午後から少しの晴れ間がありました・・・辰の頭に雨という冠が付くと、「震え」と変わり、「地」が大きく大きく「震える」という「能登半島大地震」となりました。今日は家での用向きがあって、撮影には出かけられませんでしたので、投稿写真は過日撮影したものです。雲が辰にも見えて・・・心がさみしくなる気持ちがそのように感じさせるのかもしれませんが・・・なんだか「辰の目や表情も」申し訳なさそうな・・・。
【梅二月 二つの虹の 暖かき】 季節は立春、北陸の冬はまだまだ・・・いつも出掛けるスポーツジム駐車場の空に現れた二重虹(ダブルレインボー)、内側(地面に近い方)の「主虹」と外側(空側)の「副虹」、主虹と副虹は、色の配置が真逆になります。
二重虹が現れることの吉兆は多々ありますが、鉛色の空で風も冷たい頃に、虹が出るだけでも気持ちが昂るのに、二重になった虹の分が重なって心が温まり、これから何か良いことが訪れるのではないか・・・そんな感じがした一瞬でした。
【能登いちの 宝達の山 春を待ち】 能登で一番高い山は、宝達志水町(ホウダツシミズチョウ)にある「宝達山=ホウダツザン」で標高637.1m・・・スカイツリーの高さ(634m)より3mと少し高い山です。 実は加賀藩の記録によると1584年(天正12年)金山開鉱から約半世紀にわたって藩を支えた金鉱であったことが記されていて、窯跡などから考察すると他の金鉱に比し、いち早い製錬技術が採用されていた様子がうかがえるとか・・・
西洋の土木建築工法を習得していたことも加賀藩が迎えた理由のひとつだった高山右近・・・もしかしてこの技術はキリシタン大名の彼が・・・とのロマンを感じさせます・・・。
また、ロマンと言えば、ここ宝達志水町には伝説の森に「モーゼの墓」があります。
十戒を授かったモーゼが「宝達山山麓の「三ツ子塚古墳群」の中に葬られているとか・・。
このほか同町には、百万石加賀藩の歴史を語る上で必須の「末森城の合戦」跡もこの近郊にあります。
なお、今では「バイクツーリングの聖地・・」となりつつある、全国で唯一、車で波打ち際の渚を直接走れる有名な海岸「千里浜なぎさドライブウェー」もまた今回の能登半島地震で被害が出ました。ここは年々走行可能な海岸線幅が減少してきており、対応が急がれるところ・・・。「宝の山」「モーゼ」・・・お力で何とか能登の春が一刻でも早く訪れますように~祈ります。
【桜咲き オオハマボウも 目覚めかな】 日本で一番早く桜の開花宣言される沖縄、桜祭りがあちこちに開催される頃のオオハマボウ・・・観葉植物としても販売されていますが、ご当地では「ユウナ」(右納)と呼ばれ、屋久島以南の島々に生育する木です。成木は4~10mを超えることから、砂防林や防風林として海岸付近に多く分布しています。
黄色やオレンジの丸っこい花の見ごろは6月~8月ですが、それまでの間にも、害虫による被害(植食性の昆虫が葉を食べる)が多いようです。今年1月26日、竹富島に入島、港近くの休憩場所にて見つけた葉・・・見事なまでに対象の二つの穴・・まるで、今目覚めの「人の目」の様で思わずニヤリ、写真に切り取りました。なお、この島に上陸すると「入湯税」ならぬ「入島税」(正式には入島料というもので、強制ではなく自然保護のために協力してくださいね~的なものです・・。300円で「入島証明書と記念品」がもらえます。
ちなみに沖縄の桜の花は、本州で見るものより大振りでピンク色が相当濃い!!な~と感じ、印象的(台湾からの移植です)でした~。
【春暖や サル滑らずの 枝渡り】 サルスベリ(百日紅)の木は、「猿滑り」とも・・木肌がつるつるしていて、木登りが得意な「サル」でも滑る?程の滑らかさを備えているので別名の方が有名になってしまったのかも・・・。成長するにつれ外側が「コルク層」という硬い樹脂ができて、これは「つる植物」からの巻き付けを防ぐため・・・という説があります・・・。
金沢市野町2-25-8にある「西茶屋資料館」(三茶屋街の一つで、観光ボランティアガイドの「まいどさん」が常駐しています)のお庭で見つけた樹木ですが、この時期には珍しく晴天に恵まれていた空を眺めると、その木に「サルが?」(写真中央上部)と見間違える程の枝ぶり、さも次の枝に飛び移ろうとする「サル」にも見えて~~のパシャリです~(^^;
夏から秋まで花持ちもよくこの寒い時期では、枝先にまるで蕾のような粒々(チューリップ様)がくっ付いています。(種放出後の殻)
今日の一句は「川柳風」に・・・。 《20240211撮影、下の写真を含む》
【チャボヒバが ツツジ咲き防り 灯守り】 昨日のお庭に灯ろうが2本設置されています。金沢市震度5強の地震で、市内の灯ろうが倒れる被害が多数報告されていますが、ここの「灯」は耐えて立ってました。 灯ろうの後ろには「チャボヒバ」・・・庭木、「生け垣」に多用されていてよく見かける木です。灯ろうの前には「ドウダンツツジ」が春に咲く準備をしています。
今年もドウダンの花が観たいのに、「灯」が倒れると観れなくなるので、チャボヒバが頑張って「灯」を倒さないように防いでくれた・・・そんなロマンを感じました。
なお、このお庭、小さいながらも35種弱の木、草、花木があって四季折々のひと時を飾り楽しませてくれます。ぜひ立ち寄ってみてください。
【能登の災(さい) 梅林院と 加賀の殿 神輿(しんよ)上げてと 詣でて祈り】(今回短歌風にて御免) 今日は見事な晴天に恵まれた北陸、小松天満宮(別名梅林院=加賀藩三代藩主利常公が加賀藩を守るために造営されたと伝わる国の重要文化財指定されている社)に詣で、能登(加賀藩)の一日も早い復興をお祈りしました。
この社殿は京都の北野天満宮の1/4に縮小して作られている(一部の表現は公式HPから引用)とのことですが、100本の梅の木・・・見頃はまだ少し先かな??。
ただ、このお社も被災被害の跡があちこちに・・・。灯ろうなどが転倒転落していて・・。修復にはまだまだ・・相当の時間と費用が必要と感じました・・・。 《2024.02.13撮影》
【粋な陽 バレンタインに 屋根猪の目】 今日はバレンタインデー・・発祥の地イタリアでは「恋人たちの日」として恋人同士が贈り物の交換や食事デートをする日とか。なお、「バレンタイン」は「聖バレンティヌス」(実在=殉教者)に由来する。ひと月後の「ホワイトデー」は日本生まれのイベントで、アジア圏の国にも派生しているが、「バレン・・・ホワイト・・・」いずれにしても「商」に結び付けられ定着しているイベント・・。
今日の午前中、太陽光が某集合住宅の屋根にハートの形(古来日本では「猪の目(いのめ)」という「ハート形の図形表現」がある)が現れ、微笑ましくもあり、粋にも感じたので「採りあげの一枚・一句」とします。 《2024.2.14撮影》
【春を詠む 所々(しょしょ)にあるなり 芭蕉句碑 】 北陸にも春一番が吹き、もう少しすれば待ちに待った本格的な春が訪れます。
ところで「俳句の季語」の数、特段の定めはないといわれていますが、「季重なり」といって表現の的がボケるというリスクはあるものの、これを重ねることで更に表現が増幅・強化されるという効果を狙った手法として、名人??が、あえて重ね使うといった技もあり。
あの松尾芭蕉さんも、「蛤(はまぐり)の ふたみ(蓋身)にわかれ ゆく秋ぞ」(蛤は「春の季語」で「秋」という季語も・・)と「春」と「秋」と、季語が二つある作も有名な俳人句のひとつです。(ちなみに「「蓋身」とは、伊勢の「二見興玉神社=お伊勢参り」の掛詞・・との説もあります。)
本日「パチリ」に訪れた金沢寺町寺院群の「本長寺」さんにある芭蕉の句碑には「春もや々 けしき調ふ 月と梅」と刻まれた句碑があります。「春」と「梅」を季語とすれば・・・「2つの季語」となりますね?
ここ金沢には、芭蕉句碑があちこちにあって、名勝「兼六園」の中にも設置されています~。(yamaysanは、少なくても10基前後は確認しています・・・。)
芭蕉さんは「奥の細道」の旅~金沢の地を訪れ、ここ金沢に10日以上滞在しました。(10日以上滞在したのは、金沢と岐阜の大垣のみと伝わります。(滞在の「あれこれ話し」は後日・・) 《2024.02.15撮影》
【つつじ咲く 時を待つなり 枯木橋】 橋場の三叉路近くにある「枯木橋」下を流れるのは川ではなく「東内惣構堀り」・・金沢城を守るための仕掛けとして「内、外」と区分される土居(堀り)の名残りの中を流れる水流・・。
この「枯木橋」には「明治5年4月架」と欄干に彫られているので、既に百年を経過している(驚き~!)ちなみに、反対側の欄干には「かれきはし」と刻まれており、「ばし」と濁音では呼ばないようです。これは、「いつまでも”にごらない”
清流であってほしいという願い?でしょうか???ね。
「枯木橋」の名の由来について、隣接する小さな公園に説明書きがありましたが、諸説あるとの記述あり。
その一つ「本来丸太数本で構成された架橋であったが、傍らに枯れ木の株があったことから、「枯木橋」と呼ぶようになった・・・。とか。
季節を待てば、傍らに「躑躅=ツツジ」の生き生きとした株が、咲くとき時を待つように・・・。
「かれき」と呼ばれてきた橋もしかり、その傍らの木も綺麗な花を咲かせる準備が既に出来ているようでした。
後ろの建物は「金沢文芸館」です。この建物の歴史・施設概要などについて詳しくご紹介したいと準備を進めてます・・・。 《2024.02.16撮影》
【 電柱も 話はずむや 春の午後 】 昨日の空模様や気温に比べ、今日の金沢は晴れての青空・・気温も二けたに戻りました。土曜日だからかもしれませんが、観光客・特に外国人の方々を多く見かけました。写真の電柱・・地震発生時などにおいて倒れる等の危険リスクがあることや観光地の美観確保などの観点から、ここ金沢市においては、先を見据えた金沢市らしいまちなみにマッチした方式による「無電化の推進」=「金沢方式無電化」の推進が既に始まっています。
これからの街づくりにおいて、特に期待・応援する計画推進です。
金沢市「彦三」と言われるエリア、金沢駅から近く人気の「近江町市場」の大通りから一歩入った路地には、まだまだ地上に設置の電柱が多く残っています。
「ぶ~んぶ~ん・・・」という音はすれども、さほど気にはならない程度の「唸り」を耳にしたので、見上げて「パチリ」・・・「電柱達の井戸端会議」の様子??が聴こえてくるような、そんな気がした穏やかな昼下がりでした。(井戸端会議の内容を理解したかったのですが・・(^^; 《2024.02.17撮影》
【ひと段を 昇りてみたき 城の春】 金沢の空模様は昨日に続き、今日も見事なまでに晴れて青空が拡がり、気温も暖かく、最高気温20℃でした。午後1時過ぎに金沢城大手門(尾坂門)あたりを散策・・・・。
この石段は普段から昇降禁止の段ですが、今回の地震による影響か、より厳重な立入禁止の措置がなされていました。
「ダメ」と言われると、余計「昇りたい~」と言う気持ちが強くなります~よネ??(^^;
(「昇りてみたき」=「昇ってみたいな~」という願望と、「昇って観たいな~」(少し高めの位置から「城の景色」を眺めて観たいなといった・・・感情表現を兼ねてみました・・)
城内に至る「新丸広場」には、日曜の午後のひととき、散策を楽しむ大勢の人々を見かけました。
既に数千年も繰り返されてきたルーティーン・・・ここ金沢の季節の彩も着実なる時を刻んでいます。(感謝!!) 《2024.02.18撮影》
【 春疾風 鳶も思案の 週初かな 】 (はるつむじ とびもしあんの しゅうしょかな)・・・昨日までの穏やかな陽気とは打って変わって南からの強風吹き荒れる金沢、「強風注意報発令」となった午前中、近くのTVアンテナに一休み???の鳶を発見・・。
風が強くて・・・か?、週の初めはやる気が・・・か?、それとも早めのランチを済ませた・・・か? 羽を脇にしっかり収めているにもかかわらず、後ろ姿の羽根の乱れ方でも風の強さが判ります。(なんだかゆるキャラみたくて、とても可愛い~ですね)
ちなみに「春一番」は既に気象庁が発表済みで、ひょっとすると今日の風も相当強くて、「春二番」?と・・・(「春一番」とは、もともと漁業関係者がこの時期に強い風が吹くと海が荒れて相当危険だぞ・・・という表現・言い方が、いつの頃からか一般的に拡がったこともあってか、1980年の後半頃から気象庁も「春一番」が・・・と発表するようになった。とか・・・。)
なお、「春何番」との言い方や発表の仕方はないが「春本番」という言い回しは、ニュースなどでよく耳にするところですね(^^;
《2024.02.19撮影》
【能登住まう 祖父母具したる 二股が 激震耐えつ なお明日照らし】
能登と加賀の中間あたりに位置するエリアも「震度5強」に見舞われた。
特に大きな被害がないと聴いて安心していたが、気になったので訪ねた。
築70年は経ている住居と納屋(農作業エリアが併設されている)を見せても らった。揺れは大きかったが、人命やその他建屋などには損傷個所もなかったという。
写真でも見えるが、配線に「碍子=がいし」を使い、電線そのものも外側の覆いは布製・・・相当長く使われてきたものかと・・。
この電球の下では、外で暗くなるまで農作業の後、納屋に運び込まれた作物の後処理などの様子が浮かんでくるようで・・・。まだまだ元気に辺りを照らしてしてくれそうなそんな気がして、少し心が熱くなりました。
ところで、「二股ソケットと電球」現代においての使用頻度は高くないが、今でもスイッチを捻れば点灯するとのこと。
小さいころ読んだ「偉人伝」に登場した「松下幸之助」氏の発明と記憶していたが、諸説あるようだ。
しかし、記憶では・・・幸之助氏が、夕方、急に雨が降り出したので、しばし軒先を借りていたところ、家の中から「お母さん早くアイロンがけやめて・・・明日の宿題がまだまだ・・・電気点けて~」「はいはいもうすぐ終わるからね~」
(当時は一軒一灯契約が主流)そこでの「ひらめき」が後日大ヒットとなる「二股ソケット」・・・。だったのかと・・???
(今日の「一句」は短歌風にて失礼しました) 《2024.02.20撮影》
【 春霖に ほんにいけずの 下乘石 】 (しゅんりんに ・・・げじょういし)
今日は雨、全国的に雨の日がここしばらく続くとの天気予報です。「春霖=春の長雨」
市内の小さな造園業さんの資材置き場で見かけた道標? 気になってお店の方に尋ねたところ
「ゲジョウ」と書いてあるが、道標のような役割をしていたのではないか‥詳しくは分らない」
とのことであった。
調べてみると、立て看板の役割で設置された石、神社仏閣など神聖な場所のエリア内では、
例え高貴な方であっても、車馬から降りなさい」(大きな神社で境内が広大だと山門まで相当
長い距離を歩くことに・・・)と、いわば「乗り入れ禁止」を示す役目であったようです。
晴れた日ならともかく、長雨で道もぬかるみ、できれば山門・・・いや拝殿までは車馬から
降りたくないい・・そんな気持ちで、この石を眺め、「いけず=意地悪」やな~と。
ちなみに、大阪府南河内郡河南町の「高貴寺」を撮影した写真の中に、これと同じ「下乘」
と刻まれた石がありました。
さてさて、この石、この場所に留まる前は、どこに設置され、どんな風景を見てきたのか、
出来るものなら、語ってほしい・・・な~と。
[空想=右の燈籠が「私も気になっていたの~ネェ~話してぇ~・・」とも見えましたが(^^; ]
《2024.02.21撮影》
【 春の江に 流れ振り向き 浅野橋 】 (春の江=春の川) 雨模様の金沢でしたが、午後のひと時には、少し遠慮気味に太陽も顔を出してくれました。
本来、春の川の流れは雪解けの水で水量も多いことから、ここしばらくは勢いがあって・・・落ち着いた川面になるにはもう少し時間が必要な時期です。(今日はいつもに比べて水量が多く感じました。)
通称「おんな川」と呼ばれ(犀川=おとこ川)穏やかな流れなのですが・・・。
ちなみに浅野橋(正確には「浅野川大橋」)は、2022年に100年を迎えた橋、江戸時代はもちろん木製の橋でしたが、大正11年(1922年)に架けられ、今に至る橋です。
鉄筋コンクリート製3連アーチ橋としてその姿には、現代の建築アート的にも負けていない姿(貴婦人と称されることも)に魅せられます。
(写真:橋の手前側上流 、写真上部に映る桜枝はそろそろ開花の準備に入りましたかね?)
橋を通過後の水流が、橋を潜る前の流れ方に比べて「ザワザワ・・」している様に見えました。
想像するやに、あまりにも美麗な橋をくぐり抜けたあと、川の水達が今一度「はし」を振り返りて見つめている・・・そんなふうにも思えて・・・。
《2024.02.22撮影》
明日からは「その2」に続きます~!
明日2月23日(祝)から「その2」に続きます~訪ねてくださいね~!!