<今日の一枚と一句>[その4(2024.03.21~04.04)」

【 雷神も 鶴望なるか 菊桜 】 (らいじんも かくぼうなるか きくざくら) 尾山神社の神門には現存する日本最古の「避雷針」が設置されています。
  先日来「雷注意報」が発令されていますが、今のところ無音・・・。

また、同社には江戸時代後期に京都御所から前田家に下賜されたと伝わる 「御所桜」を接ぎ木した「菊桜」(国の天然記念物)があります。
 ソメイヨシノなどの桜花より少し遅れて開花、綺麗に咲いて毎年観桜、楽しませてもらってます。
 きっと、雷神様もこれを待ち望んで、しばらくの間おとなしくお待ちしているのかとも・・・。

 ※「鶴望なるか」: 鶴のように首を長くして待ち望んでいるのか

 ちなみに、この神門は「和漢洋」の完全木造製で、境内の海抜は20m、これにステンドグラスまでの高さ17.5mを足すと、相当の高さになることから、かつてはここに灯をともし、日本海(金石近海)を通る船に灯台の役割も果たしたとか。
 なお、加賀藩前田家ゆかりの三っつの名刀(天下五剣の名刀「大典太=オオデンタ」他)が、3/26日から県立美術館で展示公開されると、地元系新聞の一面に記事掲載されていました。

  《2024.03.21撮影・投稿》

【 洋灯も 低頭老舗や 桜餅】(ようとうも ていずしにせや さくらもち)
  茶屋街に1849年(嘉永2年)創業の和菓子屋さんがあります。
  桜の開花前ではありますが、既に「桜餅」が店頭に・・・。

  「洋(ガス)灯」が初めて日本で灯されたのは、1871年(明治5年)に大阪造幣局界隈だと物の本に書かれています。
  この老舗に比べると、ガス灯はまだまだ後に設置され、20年以上も差があります。(ただし、現在設置のガス灯は再現されたもの)
  したがって、「うだつ」の上がった老舗に対しては頭が上がらない・・・ようにも見えてきました。
  ※「低頭」: 本来の読みは「ていとう」(頭を低く下げて礼をする)ですが、ここでは「ていず」と充てて詠みました。(陳謝)

  このお店は「落雁」が著名ですが、四季折々の和菓子なども美味しくて、多くの観光客が訪れています。

  《2024.03.22撮影・投稿》

  

  

【 九春に さやと流れて 武家屋敷 】(きゅうしゅんに さやとながれて ぶけやしき)  年が明けて3か月も経つ頃になると、用水(水温)も緩んで、例え水嵩が多い時でも、流水は清らかで、流れる音色も「さやさや」と穏やかに響き聴こえてきます。
 この時期の大野庄用水は水嵩も多く、流れの激し様が毎年観られるのですが、今日の流れは特に優しく緩やかに感じました。

 一日ごとに花の季節を迎える・・・そんな準備が整いつつあるのか武家屋敷を流れる用水に、心が和む間を感じて・・・。 
 ※「九春」: 春の九十日間 「さや」・・「さやさや」音色が澄んで響く様 
 ※「大野庄用水」は、先にご紹介したこともあって、詳細は省略しますが、金沢市内を流れる55本の用水の一つです。

 近くにある「野村家武家屋敷跡」を訪れる外国人観光客の多かったこと・・・多分今までの記録を塗り替えたかも・・・とにかくすごい入館者数だったと・・。

 《2024.03.23撮影・投稿》

 
 


 

【 武家屋敷 芽吹きの庭や 山桜桃 】(ぶけやしき めぶきのにわや ゆすらうめ)  野村家は外国人観光客向けガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド」で「二つ星」、米国庭園専門誌「日本庭園ランキング」で3位に選抜されたことがあります。
 濡れ縁と曲水・落水・・・。樹齢四百年の山桃(別名山桜桃)に小さな芽吹きが観られます。(他にも沢山の花芽達が次々と目覚めたようです。)
 ※「山桜桃」: 「ゆすらうめ」(花名の最後が「桃」でもウメと発音し、また「山桜桃=「庭桜」”にわざくら”とも言う・・・不思議・・・・ですね)

 特に外国人観光客に人気があって、早朝から観光駐車場(バス)を降車した人々が野村家までの歩道を歩く長い行列が続きます。

ちなみに、古くは「花見の花は桃」が主流・・・。「観桜」・・・桜花が花見の主流になった頃は「平安時代」・・・当時の花見スタイルは、今で言うところの「桃の節句イベント」に近かったようだ・・・・とのこと。
 なお、ご当家の「資料館」では、当家伝来の刀剣や前田家、明智光秀、朝倉義景氏からの書状や数々の宝物が展示されていて、しばしタイムスリップしたような不思議な感覚に浸ることが出来ました。

 《2024.03.23撮影03.24投稿》
 

【 丑寅の 櫓も春や 夢香山 】 (うしとらの やぐらもはるや むこうやま) 金沢城の本丸東面の高石垣の上に「丑寅櫓」があった。この「丑寅」の方角は「鬼門」にあたる。
 藩主利家の命を受けた利長がこの石垣の建造にとても苦労した。後に篠原出羽氏が、小段を付けて完成させ現在に至る。
 なお、今の時期、「山笑う」とはいかないまでも、日々少しづつ(山の)色合いが薄紅へと変わりつつあるようにも・・・。

 本来「鬼門」(神霊、鬼が訪れる方角)とされている場所に建てられた「丑寅櫓」ではあるが、やはり春ともなれば・・・少し(気の)緩みがでても不思議ではない頃かと・・・。
 ※1:「夢香山」: 「卯辰山(うたつやま)」(城からの丑辰の方角?)=「向山(むかいやま」「宇多須山」「春日山」などの呼称あり。
※2:標高141m、金沢城内が見渡せる高さもあってか、入山規制や植栽規制等等の定めもあったと・・・。

 ちなみに、この丑寅櫓下の石垣積み方(構成)を詳しく観ると、(前述の)「鬼門」外しと言われる石垣の積み方(高石垣と小段・犬走りの石垣の角石の方角をわざと異なる方向に複数角の石積みを造る)にも見えてきますが・・・。(私見)

  《2024.03.25撮影・投稿》
 
 
 
 

【 初雷に 神工鬼斧や 尾坂門 】(はつらいに しんこうきふや おざかもん) 金沢城大手門(尾坂門)の登り口正面の石垣、大石が見事に積まれ、バランスや見栄えもそれはそれは見事なもの・・・。
 近寄ると大きさばかりが目立って、今まで見過ごしてきたのかもしれませんが、この石を切り出して加工し、積み上げるまでの工程・・果たして本当に人の力のみで可能だったのだろうか??と考えてしまいます。

 (空想?仮説?)まず雷が大石を切断して、神の考える造形・姿に近づけるため、鬼が斧を振るって整えた後に積み上げた・・・(^^;

 よく見ると、鬼の足跡のような(右の大石が親指、小指は隠れて見えませんが、作業中に石を落として膨れ上がったか?指がつったのか・?はたまた・・・?全体的に右足裏の形にも見えます)配列に並べられたデザインの様にも・・。(作成鬼のサイン??)

 ※1:「初雷」春の季語  ※2:「神工鬼斧」人間技とは思えない鬼神技 
 ※3:「尾坂門」金沢城大手門の別名({金沢城=尾山城と呼称した時期があるほか、あちこちに「尾張」の「尾」の字が付けられた神社や町名、通り名が現在まで残る。)
 
 あれこれ想像しながら、春の城内散策・・・楽しんでみてください。

《2024.03.25撮影・03.26投稿》

【 鹿島立ち 桜蕾の 河北門 】(かしまだち さくらつぼみの かほくもん) 金沢城三御門(石川門、橋爪門と河北門)のひとつで、宝暦の大火後1772年に再建されました。
 その後、実質的正門の役割を担っていましたが明治15年頃滅失し、平成22年4月、130年ぶりに現在の雄姿にと甦えりました・・・。
※「鹿島だち」: 旅立ち、門出(道中の無事を祈ること)

 今年度もあと4日、進学就職、転勤(転出・転入)と、人が動くとき・・・。
 いまは未だ蕾ですが、桜が満開となってこの門周辺を飾る頃、人それぞれが輝く未来に向かっての登竜門となってくれることを願いつつ・・・

 ちなみに、「石川門」は「石川郡」の方向、「河北門」は「河北郡」の方向に向いていることから・・・との説があります。
 なお、大相撲の今場所、11勝4敗で優勝争いにも加わった「大の里」、先のオリンピック女子レスリングでダブル金メダル受賞の川井姉妹、人気絶頂、紅白歌合戦司会の浜辺美波さん、この方達の出身地は「河北郡(かほく)津幡町」です。
《2024.03.27撮影・投稿》


 

【 亀甲に 随喜渇仰 卯月かな  】(きっこうに ずいきかつごう うづきかな) 歴史上、金沢城や城下は何度も大火に襲われて甚大な被害を被ります。
 季節は春、「宝暦の大火」(1759年4月10日)には、1万を超える消失家屋が・・・との記録があるとのことです。
 「亀甲石」は「亀には水が・・・」との願いなのか、城内に他に何か所か、六角形(亀甲)の石が配されています。
 サクラの咲くころ(春)に多かった火事を何とか神仏にも祈願するところの「石の形」だったのかもしれませんね・・・。

※1:「随喜渇仰」:深く神仏に慕い願うこと(のどが渇いたなら水を切望する如く)
※2:「卯月」:四月 ※3:「亀甲」:鶴と並んで「長寿」の意がありますが、ここでは「亀のいるところには水がある=防火」としました。

 ちなみに、金沢の「春の火災発生率」は、全国的にかなり低いとの統計データーがあるようです。歴史的経験則・・・? とにかく、「春の火の用心」に気を付けましょうね~・・・。

《2024.03.28撮影・投稿》


 

【 蔵人や 済世願なる 躑躅かな 】(くらんどや さいせいがんなる つつじかな) 寺島蔵人は、加賀藩の中級武士として、越中高岡町奉行・定検地奉行等農政や財政の実務を担った。

 思いやりが深くまた正義感が強く、民を苦しみから救うために藩政批判・改革努力するが、最後は能登島に流刑されます。
 この寺島蔵人邸には、「ドウダンツツジ」(樹齢300年以上)が春に開花する姿と秋の紅葉を観ることが出来る庭園は見応えがあります。
流刑後、61才で病死となるまで、藩政批判をし続けたとのこと。
 なお、「ドウダンツツジ」の花言葉は、「節制」「私の思いを受けて」などが代表的ですが、悔しい思いはきっと、毎年見事に咲くこの花が癒してくれているのでしょう・・・・。

 ※1「蔵人」:「寺島蔵人」※2「済世願」:社会の弊害を取り除き人民の苦難を救うことを願うの意 ※3:「躑躅」ツツジ(春の季語)

 ちなみに、蔵人直筆の山水図などの絵画や遺愛品を拝観することが出来ます。
 なお、本邸の開館時間は9時半~17時まで(最終入館は16時半)で、入館料金は、一般310円、金沢ふらっとバス(材木ルート)「大手町」下車徒歩5分です。(駐車場はありません)
 《2024.03.28撮影・03.29投稿》

 

 
 

 【 忌み枝も 哀憐報ゆ 櫻かな 】(いみえだも あいれんむくゆ さくらかな) 我が家の「ソメイヨシノ」が満開になりました。本来は剪定によって切り捨てられる運命だった「桜の剪定枝」(先に投稿<今日の一枚と一句(その2)参照)・・・昨晩から今日にかけて綺麗に咲きました。

 人が愛情をもって施すと、万物がこれに応え・報いようとするかのように、枝の先々まで桜の花が沢山咲いてくれました。
 金沢の開花宣言を待つ間、我が家は満開桜を独り占めです。

※1「忌み枝」: 本来必要と考える枝を残し日光を与えるために他の枝を切り除く(切り除かれた枝=本来ならそのまま処分されることになる)こと。
※2「哀憐」:悲しみ哀れむ(不憫に思う)人が動植物に対して哀れみの気持ちを持つこと。(切られなければ今年も咲いたであろう・・・)
※3「報ゆ」:「恩返し」・・・(「むくいる」の文語形)。

 ちなみに、直近の情報では、金沢地方の満開予想日が4月6日(土)との予報が出ていますね~。夜桜にも出かけたいと思っています。

《2024.03.30撮影・投稿》
 

【 華燭かな 巣くう柄長や 春弥生 】(かしょくかな すくうえながや はるやよい) 3月も今日が最後の日・・・少しだけ暖かな日差しに恵まれた金沢、ツガイの「柄長=エナガ=鳥」が巣作りに使う鳥の羽を見つけて喜ぶ場面に出くわしての今日の「パチリ!」

 全長の半分以上の尾羽があってすぐに「エナガ」と判別できます。
 この鳥は、寒い時期でも子育てができるような20cmほどの巣を作ります。
 クモの糸やガのまゆの糸をコケに絡めて丸い袋状にして営巣しますが、この中に大量(数千を超える羽根・・・)の羽毛を集めて温かくします。

 実は、鳥を捕食するタカ・・・エナガにとっても怖い存在ですが、タカが食した鳥の羽毛を集め巣作りに欠かせない大量の防寒具材として利用しているとか・・・。

 写真は、羽毛を見付けた瞬間の喜び(驚き?)の一瞬をキャッチできたかな??
との自己満足に・・・。
 ツガイの鳥の未来に幸あれ~!!

※1「華燭」: 結婚(式典)、結ばれてめでたき典こと
※2「巣くう」: 営巣、巣を造り子育ての準備
※3「柄長」: 「エナガ」(尾の長い鳥=雀より小さくて軽い)

《2024.03.31撮影・投稿》



 
 

【 浅野川 梅の天神 飛花卯辰 】(あさのがわ うめのてんじん ひかうたつ)  浅野川大橋から卯辰山の方向に目をやると、手前に木製橋の「梅ノ橋」、次いで鉄骨の「天神橋」が架かり、下に浅野川の流れを観ることが出来ます。
 観光客がこの眺めを「渡月橋(京都嵐山)辺りの風景に似ている」とのことで、写真におさめていました。

 「天神橋」は昭和28年の大出水で流された後に、鉄骨アーチ式の橋に変えられました。また「梅ノ橋」は、県木の「アテの木」で造られ、映画撮影時の舞台風景にも使われる趣のある橋です。

 卯辰山は、これからゆっくりとした時間を使って、変わりゆく春の風景・・楽しませてくれるものと思います。
※1:「梅の天神」: 「梅ノ橋と天神橋」 ※2: 「飛花」桜の花が飛び交う様子

《2024.03.31撮影04.01投稿》

【 早に咲き 師団戎する 櫻かな 】 (はやにさき しだんかいする さくらかな)  昨日開花宣言のあった石川県、兼六園や金沢城のあちこちには蕾以上開花直前の桜を観ることが出来ます。
 城内で一番早く満開(私見)となった桜を見付けました。城内西側、「色紙短冊積石垣」近くに現存する「旧第六師団司令部」(明治31年建築)、その一段高いところに、見事に咲き誇っていた桜です。

 軍隊、徴兵され一兵卒になると、(お国を守るためとは言え)「咲いた花なら・・・散るのは・・」と軍歌にも唄われた「桜花」・・・本来綺麗に咲いて人を楽しませてくれるはずの花なのにもかかわらず、「潔く」とか「勇ましさ」に例えられて・・さぞかし迷惑に思い、また悲しいのかも・・しれませんね。

 写真の下方に白く小さな建物が見えますが、この建物が「旧第六師団司令部」です。
 軍隊の指揮命令ひとつで若き命、人の運命をも左右することとなる儚さ・。
 この桜が、人の過ち・・・戒めたくて、他の桜より先に咲いて、諭したかったのかも・・・と。

 ※1 「師団」: 旧第六師団司令部
 ※2 「師団戒する」: 過ちを犯すことを戒めるの意

《2024.04.02撮影・投稿》

 

【 菱櫓 桜綻び 鬼門角】(ひしやぐら さくらほころび きもんかど)

  五十間長屋の両脇にある「橋爪門続櫓」と「菱櫓」の流れは、城内に入った瞬間、その大きさとバランスの取れた石垣と建屋の姿に圧倒されます。
 特に五十間長屋右端の「算木積み」と一歩奥に凹ませた「菱櫓」の「算木積み」は見応えがあります。

 この方角(北東)が「鬼門」にあたることから「鬼門外し=鬼門除け=鬼門封じ」(角を増やす、角を凹ます・・・)の一つとして造形されたとの説もあります。
 なお「菱櫓」は文字通り櫓や柱、窓枠に至るまで「ひし形」になっています。
 柱の角が100度×2と80度×2の角度になっている様子が身近に観察できます。

 この「鬼門外し」知ってか知らずか・・・毎年内堀向かいに綺麗な櫻花を咲かせ、散った後には花筏を演出、夜桜のライトアップに映える景色が見事です。

 ちなみに「鬼門外し=鬼門封じ」は京都のあちこちで観ることができます。
 「東本願寺」の北東の角は御所の「かけ=へこみ」である「猿が辻」に似た造りになっています。また、市内では、「枡形の結界=四角の枠内に白石を入れる」を配した家屋や鬼が嫌う「ヒイラギ」「南天」を植えたり、「鬼瓦=飾り瓦」が置かれたり、「白石といけず石」の設置なども観ることが出来ます。
 「鬼」はさすがに武士や公家にとっても怖い存在であったのですね・・・。
《2024.04.02撮影・04.03投稿》
 

【 桜人 ここぞ城下の 佳景かな 】(さくらびと ここぞじょうかの かけいかな) 桜の季節を迎えた城下町金沢・・・観光に訪れた皆様に「眺望点」なる場所として市内15か所を「眺望景観の形状に関する条例」に指定、(現在15か所)写真のような案内版が埋設されています。(写真は浅野川大橋上流側中ほどにある「眺望点」で、扇形に広がったマークの上方が上流、卯辰山方向)
※1「桜人」:桜狩りの人、桜の花を眺める人、花見に来た人 ※2「佳景」: 良い景色、良い眺め

金沢市は「恵まれた自然や歴史的な街並み」など四季を通じてその時々の景観を楽しむことが出来る街ですが、中でも、桜とのコラボ時期は特にお薦めです。

ちなみに、「眺望点」は「山並みの眺め:3か所」「見下ろしの眺め:4か所」「通りの眺め:3か所」「見晴らしの眺め:5か所」に区分されてます。
 各地点は撮影スポットです。ぜひ探して「パチリ!!」ください。

《2024.04.02撮影04.04投稿》

 

4月5日(金)から「その5」に移ります