<懐かしき昭和の思い出>
「大化」以降230番目、246個目の元号、「昭和」(64年間と14日までの間)、諸外国の実態を含めて世界最長の「元号」であるとか・・・。
「昭和」の時代・・今になって懐かしさを感じる「もの」がたくさんあります。
「白黒テレビ」「くるま」「レコード」・・・「JAZZ」「group sounds」「フォークソング」「歌謡曲」、時には traditional、psychedelicな「Fashion」・・・挙げたらきりがないですね。
私的で独断と偏見となるかもしれませんが、ジャンルを問わず思いつくまま不定期にUPしますので、時々訪ねてみてください。
1970年代(昭和45年=約54年前)にはロックとJAZZにハマり、冠に「JAZZ」がついた喫茶店らしきものがあちこち誕生し、足繁く通った時代、我が家にはONKYOのプリメインアンプ、ビクターのFMチューナー、AIWAのオープンリール式テープデッキとカセットデッキ、JBLのスピーカー、YAMAHAのヘッドホーン・・と、拘りのコンポーネントを組み、日々FMエアーチェックによる数多くのコレクションを保有しました。が、しかし、再生機器類の経年劣化などにより、悲しきかなその大半は現在再生不可になりつつあります。
投資金額50万円超え・・(当時の大卒初任給が8万円弱の頃ですから)現在の価値に換算すると・・
ただ、今でもコンポ、レコードの大半は生きていて鑑賞度合いは満足の域にあります。(つづく~)
(この関連投稿はしばらく続きますのでご容赦願います)
JAZZ関連の最新ニュースやaudio情報、新発売レコードの評論・評価など購入時のチェックには欠かせなかった「スイングジャーナル」誌【1947年(昭和22)創刊~2010年(平成22年)7月号をもって休刊するまで、約63年間月間音楽雑誌として発刊】
左上の「世界ジャズ人名辞典」(創刊30周年記念号)は1976年4月臨時増刊として発売(1,300円)、右上の「ジャズレコード名盤全カタログ」は1977年5月臨時増刊として発売(1,500円)、中央の「スイングジャーナル」は月刊誌として毎月発売(630円)されていたものです。
「臨時増刊」号は550~600頁、月刊誌は450頁前後でしたが、他に類を見ないほどの情報量を誇るJAZZ専門誌・・・当時の価格は決して安くはありませんでした・・。臨時増刊号は瞬時に完売となることも多く、発売日の数日前から臨店のためにスケジュール調整をしたものです。
もう50年近く経過した雑誌もあって既に処分したものも多いですが、保有するレコードコレクション達と共に本棚の片隅で数十冊がまだまだ現役です~(^^)
一枚目の「ザ・クルセィダ―ズ」チェイン・リアクション」は、よく似た名前のフォークグループが日本にもいましたが・・・。彼らの来日公演(1970年代は大物のエリック・クラプトンやタワー・オブパワーが全盛の頃、ちなみにタワー・オブパワー、京都公演は京都の特に音楽系先輩のHSさん(後述のあちこちににこれから出没する最も尊敬する先輩=先祖代々続くお公家さん家系の直系の後継ぎの方です)と、京都会館のライブに行ってます~。 【※次を表示するにはワンクリック↓】
二枚目は「ハービー・ハンコック」言わずと知れたブルーノートの中心アーティスト・・・ですが、後に紹介する予定のマイルス・デービスからグループに誘われて活躍、その後脱退し、「ファンク」(後日関連の投稿を予定)と「エレクトリック」、JAZZとファンクとエレクトリック(シンセサイザーなど関連機器の発達と共に)を融合?させた。つまり「JAZZ」と「ファンク」と「エレクトリック」の隙間を埋めたのが彼と言っても良いのではないかと・・・。(ちなみに、レコード盤の保管方法が良かったのか、今でも若々しく? 生きてます!!!)
<明日に続く~~(^^;>
Details
【今日は洋盤一休み~の日にします~】
「思い出の渚」ザ・ワイルド・ワンズのシングル盤が発売されたのは、1966年11月(昭和41年:約57年前)です。
このバンドの名付け親は加山雄三氏、リーダーの「加瀬邦彦」さんは「ブルー・ジーンズ」でも活躍したことがあり、その頃から
卓越したテクニックと作曲家としての才能が高く評価されています。ちなみに、このバンドの結成・デビュー当時、メンバーの
平均年齢が19才だったと記憶していますが・・。2015年に加瀬氏がお亡くなりになって彼のご子息のおひとり「友貴」氏 が加わり現在も活動中です。 (参考:当時販売価格は消費税が導入されていない時代の370円でした。
早稲田、慶応、立教・・・このレコードジャケットのメンバーそれぞれのファッションは、当時の若者のファッションバイブルの
「メンズクラブ」誌とともに「街のアイビーリーガース」仕掛け人の「くろすとしゆき」氏も絶賛されています。・・・いやいや懐かしく当時を想い出させてくれる一枚です。まだまだ当時の響きで室内の空気を震わせててくれてます。
【AUDIの思い出】 【※次を表示するにはワンクリック↓】
「音楽」「車」「ファッション」など順次掲出の計画ですが、一先ず「音楽」を頭出しとしましたので、次は「車」の予告編として2~3回お届けします。ちなみに最初は1970年代の「car」についての投稿となりま~す。表示の画は、モーターファン1976年10月号(昭和50年)です。 国内外自家用車事情を中心として、自らの車遍歴などなどを含めた「あれこれ」をお届けします。 表紙を飾ったのは「AUDI100」輸入車には毎回ため息が出るほどの技術的・機能的進化があり、日本車とはスタイル・デザインなど比較にならないほどの最先端・・・。長さ、幅、4680×1768と<車高1393の「クワトロ」と称する四駆・・・。世界初2.2リットルにガソリン五気筒エンジンを搭載した車です。今でもベンツ(現代呼称は「メルセデス」が多い)、BMW、ポルシェなど独車の人気は高いです~。(価格も高く、高級車とも呼ばれます…) この頃から既にAUDIに一目ぼれで、「いつかは○○」と日本の高級車のCMがありましたが、まさに「あれ」ではなく「それ」です。裏表紙を飾るのは、NISSANの「フェアレディZ-T」です。この頃の同車は、日本車も欧州車やアメ車に比して決して劣ることなく素晴らしい進化し始めた頃ですね。自らの車遍歴は別の日にお話しするとして、あこがれのAUDIに乗ることが出来てから、かれこれ15年弱・・・現在2台目、北陸の冬にはなくてはならない車であるとともに、今まで北海道から四国まで、頼もしく安全に駆けてくれてます。注:表紙画をご覧になって「あれ~サイドミラーは??」と不思議に思われた方、相当のカーマニアですね~。そうです、これはイメージ的デザイン画で、右上の写真を見ると判ると思いますが、現在の取付位置と同じくドアミラー(サイドミラー)です。その頃の日本車は裏表紙の「フェアレディZ-T」のミラー取付位置を見て頂ければ判りますが、スタイリングより(当時の)安全機能重視???のフェンダーミラー仕様となっていました。今では懐かしく当時が思い出されます。